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[食べられる森]づくり講師/糸繰り人形遣い

平井​ 航

ひらい こう

普段の多くの時間は相模原市内の水源林整備の業務に林業会社の一員として従事。また、一市民として「会社の業務や公共事業では出来ない」手法を用いて地域の方々や他所からボランティアの方々と共に藤野の山林の手入れをしている。

 

『野生の楽校』では、[食べられる森づくり]の講師として、山を一つの生態系としてみるマクロの視点と、土中菌糸やそれを取り巻く生態系が活動するミクロの視点を持って、笹刈りや「糧を与えてくれる樹」を植える準備の手伝いをしてくださいます。

また平井さんには、伝統芸能である「糸操り人形遣い」という、一見すると林業とはかけ離れた仕事があります。

 

インタビュー

①平井さんのプロフィールを教えていただけますか?

 

この「森の楽校」では、伴さんと池竹さんからお誘い頂き、笹刈りや「糧を与えてくれる樹」を植える準備のお手伝いをする事となりました。

普段の多くの時間は相模原市内の水源林整備の業務に林業会社の一員として従事し、会社を離れては一市民として「会社の業務や公共事業では出来ない」手法を用いて地域の方々や他所からボランティアで来られた方々と共に藤野の山林の手入れをしております。 

 

それから私にはもうひとつ、伝統芸能である「糸操り人形遣い」というキャリアの一番古層に位置する仕事があります。

②林業や自然にどういう経緯や想いで関わるようになったのでしょうか?

 

 突然「糸操り人形遣い」という名称が出てきたことで頭に「?」が浮かんでいる方が多いかと思いますが、私の三つの仕事は「ひとつながり」の出来事として積み上げられたもので、後には互いに織込まれて「一枚の布」のようになることを願って働いています。

では、どのようにして「糸操り人形」が「山で働くこと」に繋がったのかを申しますと、一つは私が製作し遣う人形の原型を作った江戸(それ以前)の身体感覚と感性に近づき「物言わぬモノ達の記憶」を辿りたいと考えたからです。

 

二つには「糸操り」に限らず伝統芸能・伝統工芸に使用する自然素材には環境の変化に伴う枯渇・品質低下の危機があり、私自身がどのような基盤の上に立ってこの活動が可能になっているのかについて想いを馳せる必要を感じたことが山に入る契機になりました。

 

③[食べられる森づくり]のプロジェクトに対して、平井さんなりのコンセプトがありましたら教えてください。

 

大規模な仕事を機械を使い短期間で手掛ける林業や土木の専門家には出来ない、しかし非専門家の皆さんには出来るとても小さく大切な仕事があります。

それはスコップや鎌、落葉や枝などの身近な道具と資材を使い、その場の地形や草木と相談しながら手当てをし、ゆっくりと移り変わりを見守り、問題が見つかればその度に手直しをすることです。

 

かつて里山に暮らした人々が当たり前のように行なっていた仕事と感性を思い出すこと。

それは私の目標でもあり、皆さんと共にしたい仕事でもあります。

 

④具体的に、道の整備や薮を切り拓く際に気をつけていること、木と木の間隔、土、風の通り道、また何故風の通り道が必要なのか等、ざっくりとした質問になり恐縮ですが、平井さんの考える食べられる森に至るプロセスを教えて下さい。

 

昨年(令和5年)には僅か2回ではありましたが、皆で笹刈りをしました。

ゴルフ場と体育館に挟まれた狭い緩斜面の元耕作地で、使われなくなった道が谷状に走っており尾根には高木広葉樹が生え、その周囲から背丈を優に超える笹が密生しています。

枯木や倒木も見られますが暗く乾いた林床に少しでも条件の良い場所を見つけ耐え忍ぶ稚樹もあります。

こんな時、笹を全て刈り払ってしまえば良いと思われるかも知れませんが、笹は表土の流出を抑える仕事をしてくれる一方で浅く張り巡らされた根で通気浸透を妨げる両面があります。

 

加えて植物は急激な光・風の環境変化に弱いことを配慮すると、獣道を見つけ辿る様に、笹に覆われた木々を救い出すように、光と風をゆっくりと招き入れる事から始めるのが良さそうです。

それから笹藪の中に巣を作る鳥もいます。種を運んでくれる彼らも森づくりの重要な仲間です。

次いで、地形に沿ったなだらかな道を付け、乾燥し崩れる斜面には段を切り、所々に小さな穴を掘り、落葉などの有機物を与え、雨がしっとりと地表を潤し土中に浸透し、それを誘い水として土中で草木の根や微生物が手を結び、その良い影響が点・線・面そして深層へと拡がる様に進めていきたいと思います。

 

⑤今の森や自然に対して問題があるとしたらどんなことでしょうか?また、理想とする森や自然(自然という定義は難しいと思いますが)の在り方がありましたらお聞かせください。

 

江戸の漁民は秩父山系へ参拝し苗木を奉納していたそうです。この事は江戸に限らず、海から豊かな恵を授かる人々はその背後に豊かな森があることを理解し、川や地中や空を介して水が海と山を繋ぐ複雑な因果を大切に守ってきました。 

豊かな森は、それを構成する樹種が多いだけでなく後継となる若木・稚樹が足元に控える「種と世代」が多様な環境です。上空から段々に層を成す樹冠が強い日差しを受け止め、林床には穏やかな光と影を作ります。

 

木々は譲り合うように生え、風通しが良く、潤いを保っています。堆積した多様な落葉は同じく多様な動物や微生物により分解され腐植となり鉱物と結びついた豊かな土壌を作ります。

この土壌にはスポンジの様に無数の大小の孔があり、それは水を浸透させ、吸い上げ、蓄えもします。更には菌類と根の働きによって深層の岩盤とも繋がり、より広範囲に森の恵を届けます。

 

都会からいらした方々には藤野が緑豊かに見えるかも知れませんが、一歩足を踏み入れると放棄された暗いスギ・ヒノキ林や間伐が進み光が入るようになってもなお下草が生えない所や藪と化した林が多く見られます。

 

広葉樹林でも表土は硬く乾燥し、高木は枯れ始め、次代を担う実生は順調に育っていません。雨が降れば地表を削り、泥が流れ、浸透機能を損ないます。このような森に生き物の気配は乏しく荒涼とした景色が拡がっています。

この状態は、乱伐・造林・放棄という森林への直接的な負荷の歴史とダムや道路・擁壁等の構造物による水循環の阻害を遠因とする土中環境の悪化、天災による崩壊地の拡大や温暖化、また以上の要素と密接に関係する鹿の採食地の変遷と個体数の増加、これらが時に不幸なタイミングで絡み合いながら形成されました。

山から海を繋ぐ複雑で豊かな因果、今日の状況を招いた負の連鎖、この二つの権利や所有を遥かに越えた広範囲に渡る因果を想い、越境を常としながら、その土地に合わせて仕事をし、長く見守ること。困難な現実を前に、こんな風に身近な森や林、野原や畑に関わる事から始められれば良いと思います。

これまでに参加して下さった方々が、直ちには自分の身に返ってこない作業を夢中になって楽しんで下さった事にお礼を申します。

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