2023.10.1
Photo:Junichiro Morinaga
Text: Kayo Arita
野生の楽校ワークショップ
第1回目は「野生の楽校 ~食べられる森へのみち~」。
講師として、環境再生に取り組む林業家・平井さんと藤野の植物博士・池竹さんをお迎えし、神奈川県相模原市緑区の旧牧郷小学校の裏庭にて2023年9月末に開催されました。
「自分の中の野生を取り戻す」というスローガンを掲げ2023年新たに始まった「野生の楽校(がっこう)」の始動です!
自然に即した生き方をしていた先住民の文化に憧れています、と語ってくれた伴さん。
伴さんは、ボルネオ島の焼畑農耕民や狩猟採集民のもとへ、30代の時に2回訪れた経験をお持ちです。
自然と共生していた暮らしからは随分かけ離れてしまった現在の日本でも
ふとした瞬間に自然に帰ることができる場所や機会をつくりたい
そんな思いが野生の楽校を立ち上げるきっかけになったそう。
農耕が始まる前の、争いや貧富の差がなく穏やかな社会。
そんな世界が広がっていくきっかけの1つを
「野生の楽校」が創り出していくのかもしれません。
そもそも食べられる森とは何なのでしょう?
そして今の森はどのような状態になっているのでしょうか?
ワークショップの前半では、座学で日本の森の移り変わりを学びます。
縄文時代の里山では、クリやウルシの栽培もおこなっており
ドングリやクリ、トチなどの木の実やキノコ、野草など自然豊かな森に囲まれて暮らし
それらを採取していたそう。
古墳時代から古代にかけて建築用の木材需要が増えたり
水田の肥料としてもつかわれていたため
水田開拓のために森林伐採が進みました。
照葉樹林が伐採され、荒廃した土地にアカマツが生え
松林が広がります。
日本書紀によると、天武天皇が
飛鳥川上流の草木摂取と伐採を禁止する勅を676年に発令したという記録も残っています。
古代から中世にかけて(鎌倉や室町時代)は
農耕社会での利用や、建築用材として
また工業での燃料材として木材の需要が次第に増加していきました。
製鉄業では特に大量の燃料が必要とされ
タタラ製鉄で知られる瀬戸内や中国山地では大々的な伐採が行われます。
その結果、各地でハゲ山が広がり、室町時代にはスギやヒノキの植林も始まりました。
いちど人の手が入った山は、その後何もお手入れせずに放置しておくと、元の自然豊かな山に戻るのではなく、自然災害などがおきやすい荒れた場所へと変わっていってしまいます。
日本各地でこのような状況が多く見られますが、旧牧郷小学校の裏山も森には鬱蒼とした笹薮が茂ってしまっています。
人の手が入らなくなった要因はいろいろあると思いますが、あちこちをコンクリートで固め、空気の通りが悪くなってしまったことも山の自然環境が乱れる要因のひとつかもしれません。
森の土中環境改善を行い、食べられる森を育てるはじめの一歩として
「まず空気の通りをよくするということからはじめていきます」
とご説明をしてくださいました。
伴さんや池竹さん、平井さんのお話をお伺いし、みなさんで実際に裏山へと足を運びます。
山を歩くときは、思い思いに歩くのではなく、歩く道筋が雨の通り道になるイメージしながら、斜面を斜めに上がるように道筋をつけ、一列になって登っていきます。
これも山や植物へのダメージを最小限にし土が崩れるのを防ぐため。
いざ裏山の斜面を登ると
先ほどのお話にあったように森は藪で覆われていました。
藪を仮払い機や重機で一気に綺麗にしてしまうと
突然の環境変化に驚いた藪がすごい勢いで増殖してしまうため
人の手で少しずつ、藪をきれいにしていきます。
このような草刈りの方法を”風の草刈り”と呼ぶ、と教えていただきました。
植物たちは強い生命力を持っているのと同時に、思った以上に繊細な部分もあります。
藪で覆われて日陰になっていた部分を一気に刈ってしまい、急に日陰が全くなくなると、樹皮に日光が当たるようになり、火傷のような状態になってしまうこともあるそうです。
このようなお話をきいていると、一見藪は厄介者のように感じてしまいますが、藪の葉をとって煮だせば抗酸化作用が抜群のお茶にもなるんです。
池竹さんいわく、藪の葉をとって誰も怒る人はいませんから取り放題♪♪
さっそく参加者の中には藪の葉をとってお持ち帰りする方も見られました。
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